
公開している記事の「無断引用」、「無断転載」は禁止しております。
ここで公開している話はすべてオリジナル小説で登場する人物、場所は架空でありフィクションです。
体調が悪い時は逆に健康に悪化させる可能性があるため読むのを中止にしてください。
それは、私が終電を乗り過ごした、いつもと変わらない夜のことだった。
スマートフォンで時刻を確認すると、既に午前2時を回っていた。
タクシーを呼ぶにも、こんな時間に営業しているかも分からない。
仕方なく、私は最寄りの駅から歩いて帰ることにした。
人気のない夜道を歩いていると、ふと背後から電車の音が聞こえた。
こんな時間に電車が走っているはずはない。
そう思いながらも、音のする方へ目を向けると、そこには見慣れない駅のホームが広がっていた。
「逢魔時駅」
古びた木製の駅名標には、そう書かれていた。
周囲には人家一つなく、あるのは鬱蒼と茂る木々のみ。まるで、そこだけが異質な空間であるかのように。
好奇心に駆られた私は、ホームへと足を踏み入れた。
ホームには誰もいない。薄暗い照明が、一層不気味な雰囲気を醸し出していた。
やがて、遠くから電車の音が近づいてきた。
トンネルの奥から姿を現したのは、黒く塗りつぶされたような、異様な形をした電車だった。
私は、まるで何かに引き寄せられるかのように、その電車に乗り込んだ。
車内には、私以外に誰もいなかった。座席は全て古びており、所々にシミのようなものがこびりついていた。
電車は、ゆっくりと動き出した。窓の外は真っ暗で、何も見えない。時折、木々のざわめきや、動物の鳴き声が聞こえるだけだった。
どれくらいの時間が経っただろうか。電車は、再び駅に停車した。しかし、そこは先程の逢魔時駅ではなかった。
「冥府駅」
そう書かれた駅名標を見て、私はぞっとした。
ホームの向こう側には、巨大な鳥居が立っており、その奥には暗い森が広がっていた。
私は、慌てて電車を降り、冥府駅の周辺を歩いてみた。
しかし、どこまで歩いても、人家一つ見当たらない。それどころか、来たはずの逢魔時駅すら見当たらなかった。
途方に暮れて、私はベンチに腰を下ろした。すると、背後から何かの気配を感じた。
振り返ると、そこには老婆が立っていた。老婆は、私に向かってにこやかに微笑みかけた。
「どちらからいらっしゃいましたか?」
老婆は、優しい口調で話しかけてきた。私は、事情を説明し、元の駅へ戻りたいと伝えた。
老婆は、私の話を聞くと、少し困ったような表情を浮かべた。
「ここは、現世と冥界の狭間にある駅です。一度迷い込むと、なかなか抜け出すことはできません。」
私は、老婆の言葉に愕然とした。冥界など、信じられるはずもなかった。
しかし、この異様な光景は、現実離れしているとしか言いようがない。
「元の世界に戻るには、どうすればいいのですか?」
私は、藁にもすがる思いで尋ねた。老婆は、しばらく考え込んだ後、こう言った。
「次の電車に乗って、終点まで行きなさい。そこには、この世界を管理する者がいます。
その者に、あなたの願いを伝えれば、元の世界に戻れるかもしれません。」
私は、老婆の言葉を信じ、再び電車に乗り込んだ。
電車は、再び走り出し、今度はさらに深い闇の中へと進んでいった。
車窓から見える景色は、ますます不気味さを増していた。
木々は黒くねじ曲がり、奇妙な形の動物たちが蠢いている。時折、悲鳴のような、あるいは笑い声のような、耳障りな音が聞こえてくる。
私は、恐怖で体が震えるのを抑えながら、ただ
ひたすらに、電車が終点に着くのを待った。
やがて、電車は終点に到着した。そこは、これまでとは比べ物にならないほど、異様な雰囲気を放つ駅だった。
「奈落駅」
そう書かれた駅名標の隣には、巨大な門がそびえ立っていた。
門の前には、黒いローブを纏った男が立っていた。
男は、私を見るなり、低い声で言った。
「よくぞ、ここまで辿り着いた。お前の願いは、分かっている。」
私は、男に促されるまま、門の中へと入っていった。
門の奥には、広大な空間が広がっており、中央には玉座に座る、厳めしい雰囲気の男がいた。
その男こそが、この世界を管理する者だった。
私は、男に事情を説明し、元の世界に戻りたいと伝えた。
男は、私の話を聞き終えると、こう言った。
「お前の願いは叶えよう。しかし、代償が必要だ。」
私は、男の言葉に戸惑った。代償とは、一体何なのだろうか。
「お前の記憶を一つ、私に渡してもらおう。」
男は、そう言った。私は、記憶を失うことに抵抗を感じたが、元の世界に戻るためには仕方がないと思った。
「どのような記憶を渡せばいいのですか?」
私が尋ねると、男は薄く笑みを浮かべ、
「お前が最も大切にしている記憶だ。」
そう答えた。私は、頭を悩ませた。最も大切な記憶とは何だろうか。
家族との思い出、友人との友情、恋人との愛情。
様々な記憶が頭を駆け巡る中で、私は一つの記憶を選んだ。それは、幼い頃に亡くなった祖母との、温かい記憶だった。
「この記憶を渡します。」
私は、男にそう告げ、祖母との思い出を心の中で再生した。
すると、目の前の光景が歪み始め、私は意識を失った。
次に目を覚ました時、私はいつもの自分の部屋にいた。
夢だったのだろうか。そう思ったが、どこか現実ではなかったような、鮮明な記憶が残っていた。
しかし、確かに何かが失われている。祖母との記憶が、すっぽりと抜け落ちていたのだ。
私は、あの異界駅での出来事を、誰かに話したいと思った。
しかし、誰に話しても、信じてもらえるはずがない。
それどころか、頭がおかしくなったと思われるかもしれない。
私は、あの出来事を胸に秘め、二度と夜道を一人で歩くことはなかった。
しかし、心の奥底では、あの異界駅のことが忘れられずにいた。
数日後、私は偶然、あの老婆と再会した。
いつものように公園のベンチに座っていた老婆は、私に気づくと、優しく微笑みかけた。
「元の世界に戻れて、良かったですね。」
老婆は、そう言った。私は、老婆に礼を言い、あの異界駅について尋ねた。
「あの駅は、一体何だったのですか?なぜ、私はあんな場所に迷い込んでしまったのでしょうか?」
老婆は、少し悲しそうな表情を浮かべ、こう答えた。
「あの駅は、心の隙間に入り込む駅です。あなたが何かを強く求めたり、失ったりした時、心のバランスが崩れ、あの駅への扉が開いてしまうのです。」
私は、老婆の言葉に納得した。あの時、私は終電を逃し、一人で夜道を歩いていた。
孤独と不安が、心の隙間を生み出してしまったのかもしれない。
「記憶を代償にしたのは、あなたがあの記憶に囚われていたからです。過去の思い出は大切ですが、それに縛られていては、前に進むことができません。あなたは、あの記憶を手放すことで、新しい未来を歩み始めたのです。」
老婆は、そう言って、私の背中を優しく撫でた。私は、老婆の言葉に励まされ、前を向いて歩き出す決心をした。
あの異界駅での出来事は、決して忘れられない。
しかし、私はもう、過去に囚われることはない。
失った記憶の代わりに、新しい思い出を、これから作っていけばいい。
私は、老婆に別れを告げ、家路についた。空を見上げると、満月が優しく輝いていた。
- 工事中
- 工事中
- 工事中